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品木ダム

カテゴリー:仕事現場

2021-10-21

仕事現場の「 品木ダム 」を紹介します。

品木ダム のあるところ

品木ダム は、群馬県吾妻郡中之条町にあります。

一級河川・利根川水系の湯川に建設されたダムです。

ここで「浚渫」をしています

地図

品木ダム を囲む川たち

品木ダム のある湯川は、利根川水系の主要な支流である吾妻川(あがつまがわ)の二次支流であり、白砂川の三次支流です。
草津白根山を水源とし、名湯・草津温泉を流れ、ダム地点において大沢川を合わせます。
ダムを通過し、白砂川に合流します。
白砂川は、吾妻郡長野原町で吾妻川に合流し、八ッ場ダムや吾妻渓谷を経て、渋川市で利根川に合流します。

品木ダム の目的

目的

品木ダム は、吾妻川の水質改善と河川水の中性化を最大の目的として建設されました。
それでは、吾妻川はどのような川だったのでしょうか?

吾妻川

かつての吾妻川は、通称「死の川」と呼ばれていました。
それは、河川水が極度の酸性を帯びていたためです。

吾妻川の水質の酸性の原因は、草津温泉や白根山周辺の限られた地域から流出する酸性水でした。 特に酸性が強い湯川水系(湯川、谷沢川、大沢川)がその主な原因でした。

その酸性度は鉄釘を1週間で溶解する程の強さであったそうです。
このため、吾妻川は利水に不適当な河川であり、橋梁などの河川工作物にも多大な影響を及ぼしていました。
さらには吾妻川と合流した利根川の水質までも損ねしまい、
当時は、かんがいや水力発電への影響も深刻なものになっていました。

そこで、吾妻川の上流の川である湯川・矢沢川・大沢川の水を中和して、吾妻川を蘇らせる取り組みが始まりました。


それでは、その吾妻川が「死の川」と呼ばれていた当時とはいつだったのでしょうか?

品木ダム の完成は1965年(昭和40年)12月

はじまり

湯川とその支流が吾妻川における最大の酸性化要因であることが判明すると、
群馬県はこの問題を改善する事業をはじめました。

その事業とは、世界初の「河川酸性化中和事業」でした。

世界初の「河川酸性化中和事業」とは

世界初の「河川酸性化中和事業」とは、石灰を大量に投入することで河川水のpH値を中性にする事業です。

現在は国土交通省の管轄となっていますが、当時の事業主体は群馬県でした。

群馬県の取り組み

群馬県は、1957年(昭和32年)に予備調査に着手し、「吾妻川総合開発事業」計画を策定しました。

品木ダムは、酸性水流入の最大原因となる湯川に酸性水中和施設を建設する「吾妻川総合開発事業」の
中心施設の一つとして計画されたものでした。

1965年(昭和40年)12月に品木ダムが完成しました。

品木ダム の役割

役割

品木ダムは、中和反応の促進と中和生成物の収容を行う中和緩衝池の機能を持っています。
また、ダムでは一般的な役割の、水力発電としても役立っています。

中和反応

草津中和工場で、石灰石粉の成分である「炭酸カルシウム」を投入して、
湯川の酸性成分である「硫酸、塩酸」などと中和反応させています。

また、香草中和工場では、矢沢川・大沢川に「炭酸カルシウム」を投入して、
「硫酸、塩酸」などと中和反応させています。

中和生成物

中和の時にできる「硫酸カルシウム(石膏)や塩化カルシウムなど」が中和生成物です。
これらの中和生成物は、水に溶けません。そのため、下流にある品木ダムで沈殿させます。

品木ダム から流れ出た水

品木ダム から流れ出た水は吾妻川に流入します。
そして、吾妻川は利根川に合流し、その後太平洋に流れ着きます。

現在の吾妻川

品木ダム を中心とした「河川酸性化中和事業」によって、
現在の吾妻川には魚などの生物が棲めるようになっています。

下流の人々も中和された河川の水で、安心して生活しています。

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